まず始めに断っておきたいのは、山は楽しく登ることが前提ということだろう。
孤高で行くか、数人のグループで行くかは別として、山岳の姿や自然をありのままに肌で感じることができる至高の行為が登山である。
山に登ることが身近になったと、以前にもこのコラムで書いたことがある。
インターネットの普及でさまざまな情報が簡単に入手できるようになったことや、道具や装備が進歩して軽量化や耐性が強化され、尚且つ街着としても通じるカラフルなウェアが登場するなど、登山はいまや一般の旅行並みにお手軽になったと感じてしまうほどである。
しかし、そう感じるのと実際では大きな隔たりがあるのも登山であり、登山の経験が少ない方々にとってその隔たりは分かりづらいものでもあったりする。
先ずこの「隔たり」を知る方法はないだろうかということだが、初心者にわかりやすく端的に言いまとめると「登山の結果」ということになる。
要するに登山を終えるまでその隔たりが分かりづらく、登山を終えた結果として
「楽しかった」「感動した」「ちょっとしんどかった」と思えて終わればよいが、「ケガをした」「救助された」「死んでしまった」などの想定外の結末から、こんな筈ではなかったとその隔たりを知ることになるケースがあるからである。
最近では、この「結果」の良いほうだけに思いを馳せる登山者が増えているようだ。
インターネットのSNSなどで安易にツアーまがいの企画で同行者を募ったり、自分たちの力量というか、トラブルが起きた時の対応能力を超えた無謀な登山を行ったりと、信じられない山行を行う人たちの姿を目にするようになってきた。
ここで厄介なのは、このような御仁たちはここで言う結果など気づかいすることなく、さまざまなケースに潜んでいるかもしれないリスクを深く考えないで楽しさを追及していることにある。
例えば、即席グループ登山を募るときの基準は何なのか、お互いの体力や技量をリーダーとなる人が理解しているのか、トラブルが発生した場合だれが計画の遂行または中止を判断するのか、結果に対する責任はだれがとるのかなど・・・怖いことだらけである。
プロのガイドですら「ガイドレシオ」というものがあり、一人のガイドが引率する登山者の数を登山スタイルや目的に応じて厳格に定めている。
自分たちが登山する結果をどう想定するかで、登山スタイルやルートの選定、用具や装備、気象変化に備えた服装など、準備すべきものにおのずと反映されてくるのである。
登山全般を里山あたりのウォーキングと同じレベルで楽しもうとしている方々の「結果」は、時に大きな危うさを伴うことも初心者の方々は心の隅にとどめておいてほしい。
山や自然に触れて、楽しい結果を残し続けるためにも。